
難波から南下し、山中渓、雄ノ山峠を越え、和歌山へと抜ける道は、 近世紀以降、紀州藩の参勤交代のため整備され、「紀州街道」と呼ばれていました。
この道は、古代においては、難波、奈良の都と紀伊国などを結ぶ「南海道」として成立し、 平安時代以降、熊野詣が盛んになると天皇や公家たちの参拝所兼休憩所の王子が 山中渓にも2ヶ所設けられ、「熊野街道」とも呼ばれていた時期もあありました。
この道はその時代の用途に応じてその名を様々に変えているのです。

中間部分の子安地蔵では静かに山あいの雰囲気を味わいながら休息することができます。
春の枝垂れ桜はとてもきれいです。

きれいに復元整備された道路です
200メートルほど復元整備されています
山中渓に続きます
昔の庄屋屋敷です

一息できる静かなところです。きれいな公衆トイレもありますよ


紀州街道が復元されている山中集落の南口に平石を屋根にした道祖神が祭られています。
これは、街道を往来する人々の安全と集落に他所から病気や災いが入るのを防ぐ願いが込められています